THE ENTERTAINMENT DIARIES

はじめましてM&Oです。フリーランス。独自の視点でエンターテインメントの表と裏を綴ります。

認めてもらう為に生きてしまう『承認欲求』の問題 『嫌われる勇気』を読んで考える

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頑張るのは褒めてもらうため?教育によりもたらされた影響

こんにちは、M&Oです。

今回は『承認欲求』について書いていきたいと思います。

『承認欲求』とは他者から認められたい、褒めてもらいたいという欲求で、特定の相手からや大勢の人から認められたい、褒められたいという欲求で無意識に内に多くの人が持っている欲求で、幼い頃からの環境で植えついてしまっているものと言えます。

最近M&Oは『アドラー』の教えを説いている岸見一郎・古賀史健氏の『嫌われる勇気』を読んでいるのですが、非常に納得すしたり共感する部分の多い内容となっているのですが、特にこの『承認欲求』に関しては非常に思い当たることが多かったので、この場を借りてアウトプットさせて頂きます。

M&Oも例外ではなく、多くの人が心に『承認欲求』を持っているのは間違いないと思います。『嫌われる勇気』の中ではこれは『賞罰教育』を受けてきた影響によると書かれていて、

『適切な行動を取ったら褒めてもらえる。不適切な行動を取ったら罰せられる。』

という環境で育ってきたせいで、

『褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない。罰する人がいなければ不適切な行動もとる』

というライフスタイルになってしまっていると説いています。

他者からの承認を求め、他社からの評価ばかりを気にしていると『最終的には他者の人生を生きてしまう』ことになる。

こうも書かれているのですが、これには本当に衝撃を受けました。

そして逆を言えば、『他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではない』ということ。相手が自分の思い通りに動いてくれなくても怒ったり不快に思ってはいけないわけで、思い通りに動いてくれないのが本来当たり前だと説いています。

これも非常に納得させられてはしまったのですが、自分の人生を省みるとまさに僕自身も『承認欲求』を持って生きてきたなぁと恥ずかしながら心から思うのです。

もちろんその当時は何も意識することなく生きてきていたわけですが、記憶が一応ある小学生の頃からこの『承認欲求』をしっかり持って生きてきたと思います。この時代は基本的に両親に対してという場面が多かったと思いますが、先生に対してや友達などに対しても認められたい褒められたいという思いは確実に持っていました。むしろそれ以外にどういう思いで物事に打ち込んでいたかわからないぐらいです。自発的にやっていたのは当時打ち込んでいた少年野球ぐらいだったと思いますが、これに関してはハマって夢中になって打ち込んでいたと自分としては思い込んでいたのですが、突き詰めてみるとここでも親に褒められたい願望はあった気がしますし、監督やコーチやチームメイトに認められたい願望があったように思います。そして実力がつけばつくほど『期待に応えなければ』という思いも強くなってきていたように思えます。もしも誰からも褒められなかったり評価されなかったら、果たして少年野球をずっと続けてきたかなと疑問です。これまではそんなこと考えたこともなかったのですが・・・。そしてこれはその後のサッカーに対して費やした時間や俳優という仕事に関しても、今思い返してみると少なからずそういった気持ちは残り続けていたと思いますし、一つの原動力にもなっていたと思います。誰にやれと言われてやっていたわけではありませんが、何をしても周りの反応が『ふーん』という反応だったら、果たして長い間続けられていただろうかと思うのです。

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褒められたい・認められたいと欲求なしでモチベーションは保てるのか

これまでの人生を振り返ると心のどこかに『認められたい・褒められたい』という『承認欲求』があったことは否めません。常識に捉われずに周りに流されずに人生を生きてきたという自負が少々ありましたが、『承認欲求』は持って生きてきていたと思います。

『嫌われる勇気』のこの章を読んで、自分の分析できていなかった部分に気付いたわけですが、さらに『承認欲求』は邪魔なものでしかないという思いも持ったのですが、幼い頃からそういう環境で育ってきて、それに対して何の矛盾も感じてこなかったわけで、そうなるとそのマインドを一新させるのってそうそう簡単なことではないと思うのです。恥ずかしいことに『認められたい・褒められたい』という思いをまったく捨てた状態で、モチベーションを保てるだろうか・・・?と思うのです。

まぁいい歳なので『褒められたい』という欲求はもうなかなかないわけですが、『認められたい』という欲求はやはり持ってしまうのが普通になってしまっています。他者からもそうですし、社会からということも言えると思います。しかしどうにかしてそんな思いを捨て去って生活することを目指したいなと『嫌われる勇気』を読んで強く思ったのです。なかなかすぐに完璧にそのマインドになるのは難しい事ではあると思うのですが、もちろんできないことではないと思っています。そしてその先には自由が待っている気がしてならないのです。そう考えるとその状態になった時が非常に楽しみですし、自分自身の思考の変化もどんな風になるのか非常に楽しみなのです。

意識して生活してみたいと思います!

                               M&O