THE ENTERTAINMENT DIARIES

はじめましてM&Oです。フリーランス。元俳優が俳優の目線で綴るエンターテインメントの表と裏

日本のGKのレベルを上げた川口能活 不器用にまっとうしたサッカー人生

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川口能活の日本サッカーへの貢献度

おはようございます、M&Oです。

先日川口能活選手の引退に伴い、記事を書かせて頂きましたが、今回はまた違った視点で書きたいと思います。

 

引退会見を開いた川口能活選手の元には100人を超える報道陣が集まりました。

その人数の多さに川口能活選手自身も驚き感謝の気持ちから目に涙を溜めていました。

『俺のためにこんなにたくさん集まってくれるなんて思わなかったよ』

そうスタッフに涙しながら話す川口能活選手を見て、

『そうだ。川口能活とはこういう男だったんだ。』

とM&Oも目頭が熱くなりました。

思えば川口能活選手が高校生の時に清水商業で高校サッカー選手権で優勝した時、M&Oは強烈に川口能活という男に憧れたのです。

 

当時から飛び級(本来の自分の年代ではなく上の年代)で世代別日本代表に選ばれていた川口能活選手。その名は全国のサッカーファンに知れ渡っていました。

この高校選手権でも超高校級ゴールキーパーとして大きな注目を集め、チームメイトには田中誠佐藤由紀彦安永聡太郎などそうそうたるメンバーと共に、キャプテンとして見事に全国制覇を成し遂げました。準決勝で城彰二がいる鹿児島実業に点取られるまで、実に890分間連続を無失点で勝ち上がりました。

そしてその実力は素人が見ても群を抜いていて、高校生離れしたキャッチングと守備範囲の広さでゴール前に君臨していました。

そして更に注目を集めたのが甘いマスクでした。

そのルックスからアイドルのような人気を誇った川口能活選手は、高校卒業後、鳴り物入り横浜マリノスへ入団します。

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当時の横浜マリノスには長く日本代表のゴールを守ってきた松永成立選手が在籍していました。

『松永さんから学びたい』とあえて高い壁に挑むところが川口能活選手らしいところです。

本人も時間はかかると思っていたそうですが、マリノスに入団した川口能活選手はサテライト(2軍)の試合に出場する日々が続きます。プロの壁は厚く、超高校級と言われたプライドは練習と試合でズタズタにされます。

サテライトの試合で失点を重ねる川口能活選手は激昂しキーパーグローブを叩きつけ、グラウンドに突っ伏してしまう事も少なくありませんでした。

そんな苦悩の日々の中、チャンスは突然やってきます。

外国人監督のソラリが川口能活選手を抜擢したのです。

松永選手に代わりJリーグの試合に出場した川口能活選手。空回りしている様子はあったものの、初出場の試合を勝利で終えます。そしてそのままレギュラーをものにした川口能活選手はみるみる実力を発揮してファインセーブを連発します。新人王も受賞しました。

勢いそのままに代表としてオリンピック予選に臨み、アトランタオリンピックへの出場権を獲得すると、初戦のブラジル戦でありえないほどのファインセーブを連発し、マイアミの奇跡の立役者となります。

そして勢いはとどまらず、若くして日本代表に選出され、日本代表でもレギュラーを勝ち取ります。

 

川口能活中田英寿

しかしまだ若かった川口能活選手と中田英寿選手には、フランスワールドカップ予選の戦いはあまりに過酷なものでした。

川口能活選手はかなり精神的にも参っていたと聞きます。当たり前です。どのポジションよりも経験が必要とされるゴールキーパー中田英寿選手の次に若いのですから。そして中田英寿選手は最年少にして日本代表のゲームメイクを任されていました。

あまりに性格が違うのでこの2人はベタベタと仲の良い関係では決してありませんが、この後も長く戦友として戦い続けただけに、見えない強固な絆が間違いなくあると思います。ドイツワールドカップロナウドに失点を許した直後、川口能活選手に怒鳴り散らしている中田英寿選手が映っていましたが、『能活だから言った』と中田英寿選手は言っていました。そして一つ前の試合のクロアチア戦で、PKを止めた川口能活選手に駆け寄り抱きしめた中田英寿選手。M&Oはその光景を見た時泣きそうになりました。中田英寿選手は感情を露わにしないタイプなのに、真っ先に走り寄って川口能活選手を抱きしめたのです。

若い時から死闘をくぐり抜けてきた2人ならではの絆を感じました。

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試練だった川口能活選手の海外移籍

横浜マリノスからゴールキーパーとしてはじめて、海外へと挑戦した川口能活選手。イングランドポーツマスでは、移籍してすぐにチームメイトの顔と名前も知らない状態でいきなり試合に出され、スキルの高さからゴールマウスを守ったものの、チームのディフェンスはちょうどボロボロの状態で、その後の数試合では立て続けに大量失点を余儀なくされます。

決して川口能活選手のせいではないのに、持ち前の真面目な性格から『自分のせいと思ってください』と発言した事もあり、激しいバッシングに晒されます。

川口能活選手は外出する事も怖くなり、お金をおろす時は隣町まで行って、食事は日本から送ってもらうレトルト食品などを自宅で食べていたそうです。

また川口能活選手の影響で日本からファンが押し寄せると考えていたポーツマスの会長は、予想とは違う現実に怒りを覚え、川口能活選手をスケープゴートするようチームの首脳陣に指示しました。

川口能活選手を試合に出さないどころか、練習はユースチームと共にやらせました。つまり高校生です。

期待したジャパンマネーが入って来ないなら、なるべく早い段階で川口能活選手を他のチームに移籍させたいと言うのが会長の考えでした。川口能活選手から移籍したいと言わせたかったのです。

この時期、川口能活選手は本当に辛かったと話していました。英語も流暢に話せない川口能活選手はチームメイトの会話も全て自分の悪口を言ってるんじゃないかと怯えていたそうです。

しかし、川口能活選手は練習を休む日は1日もなかったそうです。過酷な状況に追いやられながらも寡黙に一心不乱に練習する川口能活選手に、チームメイトもポーツマスファンも胸を打たれたと言います。

リーグ最終節に後半から出場機会を得た川口能活選手にポーツマスのファンは大声援を送りました。

練習の鬼、ストイック、日本でもそう言われ続けて来た川口能活選手が、どんな状況でも腐らず挑み続けて得たモノでした。

その後はデンマークノアシェランに移籍。そしてジュビロ磐田Jリーグに復帰します。

日本代表での活躍は言うまでもなく、岐阜、そして相模原へと移籍し、現役生活にピリオドを打ちました。

 

日本のゴールキーパー人口を増やした川口能活の功績

甘いマスクと目を奪うプレーで人気となり、また超がつく真面目な性格から年配の方々からも好かれた川口能活選手。

川口能活選手が現れるまで、日本ではゴールキーパーというポジションは少し太っていたり足が遅かったり、目立たない子がやらされるポジションというイメージでした。

しかし川口能活選手の出現により、ゴールキーパーをやりたい!と志願する子供が一気に増えたと言います。

スターとなった川口能活選手への憧れからくるものでしょう。

ゴールキーパーでありながら、テレビカメラにアップで抜かれたのは川口能活選手が最初だと言われています。地味なポジションというイメージを覆したのです。

しかし当の本人はサッカーの事だけ考えている人間で、体重計を持ち歩いたり、お酒をまったく飲まず、鶏肉しか食べずしかも皮は絶対食べないというような私生活からサッカー一筋の人間でした。

もてはやされてもまったく調子に乗らなかったからこそ、一流のプレーヤーになれたのでしょう。

 

横浜マリノスの練習を見に、神奈川の獅子ヶ谷グラウンドに行った時に、1人居残り練習を続けている川口能活選手を今でも鮮明に覚えています。

 

たくさんの感動はもちろんですが、自分の人生にも川口能活という生き方は大きな影響を与えてくれました。

感謝の気持ちと共に、本当にお疲れ様でしたと心から伝えたいです。

                                           M&O