THE ENTERTAINMENT DIARIES

はじめましてM&Oです。フリーランス。元俳優が俳優の目線で綴るエンターテインメントの表と裏

マツ(松田直樹)もきっと空から見ているワールドカップ Jリーグ一番の愛すべき問題児を思い出す

ミスターマリノスと呼ばれた松田直樹を知っていますか?

2002年の日韓ワールドカップ。スリーバックの一人として大活躍した松田直樹選手。

前橋育英高校から横浜マリノスに入団。ルーキーイヤーに強豪マリノスでレギュラーに定着。横浜マリノスから戦力外通告を受けるまでマリノス一筋でプレーし多くのサッカーファンに愛された選手。

カリスマ性も充分でマリノスファンじゃなくても彼を好きというサッカーファンは本当に多かったです。また端正なルックスで女性ファンも非常に多かった松田直樹選手。

感情の起伏が激しく、数々の伝説を残してきたサッカー選手。自ら「俺はJリーグ一の問題児でした」と言うほど自他ともに認める問題児。しかし、誰からも愛される問題児なのです。

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僕はキーパーだったけど僕はこのヘアバンド愛用してたなぁ。ちゃんとマツモデルの「3」という番号入りのを持っていました。日韓ワールドカップの後には個人で写真集が出るほどの人気ぶり。ディフェンダーで当時なかなかないことです。川口能活選手も昔写真集が出てましたが、マリノスにこの2人がいたんですからすごいですよね。

 

とにかく熱い男で歯に衣着せぬ物言いで物議を醸すこともしばしば。

 

 こちらの「六月の勝利の歌を忘れない」は2002年日韓ワールドカップの練習や合宿、本大会のベンチにまでカメラが入った非常に見ごたえのある作品なのですが、松田直樹は度々問題発言していてしっかり映像に使われています。トルシエ監督の事も「あいつ」呼ばわりしていますし、「だってあいつうるせーじゃん!」など他の愚痴もおさめられています(笑)でもいいんですよねぇマツが言う分には(笑)

 

中田英寿松田直樹は中学校の頃からアンダー代表で一緒だったため長い付き合いで。松田直樹中田英寿に劣らない若い世代からの代表歴の持ち主なのです。その為すでに海外で活躍していた中田英寿にどこか周りが遠慮してしまう空気を壊したのは松田直樹だと言われています。本人も「ヒデの頭を殴れるのは俺ぐらい」と言っていたほど旧知の仲なのです。余談ですが、ジーコジャパンの時に中田英寿の孤立が取りざたされていましたが、松田直樹がいれば回避できた問題と思っていたサッカーファンは数多くいたみたいです。僕自身もそうです。この「六月の勝利の歌を忘れない」の中にも、練習中にヒデをからかうマツの姿が多く見られます。挙句の果てには中田英寿をプールに突き落とします(笑)そしてヒデ自身も非常に楽しそうなのが印象的です。

 

松田直樹が残した数々の愛すべき伝説

松田直樹選手のエピソードは多々ありますが、いくつかご紹介させて頂きます。

①『やるよ?やっちゃうよ』事件

2003年のナビスコカップジュビロ磐田戦。相手選手との接触プレー後に言い放ったセリフ。この「やるよ?やっちゃうよ?」はピッチ脇の集音マイクに拾われ有名なセリフに(笑)松田直樹の代名詞となりました。本当に熱いディフェンダーなのです。

 

②『試合中にボールに座り相手チームを挑発』事件

2000年のアビスパ福岡戦、負けているにも関わらず攻めてこないアビスパ福岡に対して、試合中にボールに座り手招きするという挑発。しかしこれは松田直樹選手がサッカーを愛するあまりにやったことなのです。試合後のインタビューで「あいつらプロじゃない。必死に戦ってくれているサポーターの気持ちわからないのかな」と涙を浮かべながら話していました。何よりサッカーが好きな人なんです。

 

③『殺気がにじみ出てしまう』事件

日韓ワールドカップで日本をベスト16に導いたフィリップ・トルシエ監督。このトルシエ監督も短気で有名で思い通りにいかないとプッツンしてしまう監督でしたが、このトルシエ監督が松田直樹の事を聞かれた時に、『試合に出さなきゃ殺すというオーラがある』と言っていました。あのトルシエにここまで言わせるってすごいです(笑)ちなみにシドニー五輪ではトルシエと衝突し無断離脱した経験があります。その後代表に戻ったのは川口能活選手が説得したため。トルシエ監督が川口能活選手にマツの説得を頼んだらしいです。本当に必要とされていたんですね。

 

④『ジーコジャパンの時に勝手に帰る』事件

ジーコジャパンにも選出されていた松田直樹選手でしたが、なかなか出場の機会を与えられず、バーレーン戦でベンチ外になるとスタンドでの観戦が規則にも関わらず無断で代表をはなれ帰宅。その後ジーコに謝罪の手紙を出すも再び呼ばれることはなかった。しかしこの離脱事件は、同じディフェンダー田中誠がケガをしたにもかかわらずジーコはフォーメーションを変えディフェンダーを減らし松田直樹選手にはチャンスが与えず。これに対してマツは信頼されてない、必要とされてないと感じ行動に出てしまった。マツらしいと言えばらしいのですが、ジーコジャパンにマツがいればとは思わずにはいられません。

 

いろいろな伝説や松田直樹の魅力がわかる本

 

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

 

 

 

松田直樹を忘れない。~闘争人II 永遠の章~ (SAN-EI MOOK)

松田直樹を忘れない。~闘争人II 永遠の章~ (SAN-EI MOOK)

 

 

 

サッカー選手にもサッカーファンにも愛された松田直樹

横浜マリノスを退団し松本山雅でプレーしていた松田直樹さんですが、練習中に倒れ帰らぬ人となってしまいました。当時本当に信じられなかったです。仕事中にトイレに行った隙に携帯ニュースを見てマツが帰らぬ人となったことを知りました。トイレから出てきた僕に他の役者が「どうしたの?顔色すごい悪いんだけど」と言ったのを鮮明に覚えています。血の気が引くとはまさにといった感じでした。帰宅して家で一人で泣きました。高校時代から有名だった松田直樹選手。僕は川口能活選手に憧れてキーパーをやっていたこともあり、マリノスの試合はスタジアムでもテレビでもとにかく観ていたのです。月日は流れマツはチームキャプテンになり、僕が清水商業時代から好きだった佐藤由紀彦選手や安永聡太郎選手とも親友で。おこがましけどすごい身近に感じていた選手だったのです。

松田直樹のメモリアルゲームには中田英寿をはじめレジェンドたちが多く集まりました。告別式にはトルシエも来ました。現代表監督の西野朗監督も。多くの選手が参加しました。

今でも僕の好きな番号は「3」です。

マリノスで10代の時から共にプレーし、試合中たくさんの喧嘩もしたという戦友である今も現役である川口能活選手は言っていました。

「マツは自分の中で生き続ける。あいつの分も頑張るしかない。天国のマツに、なにやってんだ!って言われないようにしたい。」

 

今日のポーランド戦も必ず観ていてくれるはず。もしも負けるようなことがあればきっと松田直樹選手は「だっせーなぁ」と笑うでしょう。

頑張れ!日本代表!!

知らない人のために。西野朗監督になってブラジルを撃破したアトランタオリンピックマイアミの奇跡が話題に挙がることが多かったですが、このマイアミの奇跡でも松田直樹選手はフル出場し完封に大きく貢献しています。本当にすごい選手なんです。

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